歴史彩発見

人が行き交い、文化が行き交った宿場町の面影。
地域の教育に力を注いだ先人の足跡。
閻魔様
まちには今もその歴史を伝える、多くの文化財が息づいています。
  

 

目沼浅間塚古墳


今から1500年ほど前の豪族のお墓です。中に計20基の古墳群か らなる目沼古墳群の一つ。全長50mを超える前方後円墳で、平成3年に町の史跡に指定されました。

明治天皇御小休所阯


明治9(1876)年6月3日、明治天皇は奥州御巡幸の途中、杉戸に立ち寄り、 ここで5分間の休憩をとられました。これを記念して昭和11年に明治天皇御 小休所阯が建てられました。

三上於菟吉の墓


庄和町に生まれた三上於菟吉は、大正から昭和にかけて活躍した 大衆小説家です。多くの作品を発表し、中でも「雪之丞変化」は代表作となっています。今は大字木野川の共同墓地に眠っています。

西行法師見返りの松碑


西行法師は旅の途中、病に倒れ、下高野にあった小庵(後の東大 寺)で手厚い看護を受けます。回復し、ここを離れる際、見事な枝ぶ りの松を何度も何度も振り返ったそうです。いつしか見返りの松と呼ば れるようになりました。皇御 小休所阯が建てられました。
大島有隣と恭倹舎
江戸時代の心学者大島有隣は、現在の大字大島の地で生まれました。関東心学界の最高峰中沢道二に師事し、天明5(1785)年に心学の普及のため恭倹舎を創建しました。今も残る恭倹舎は県指定 の史跡となっています。

御成街道一里塚


慶長9(1604)年、江戸日本橋を起点に一里ごとに塚を設けること が定められました。そのときにつくられたのがこの一里塚。ほぼ原 型が保存されているのは県内でも大変珍しく、大正15年県の史跡 に指定されました。

杉戸宿本陣


本陣とは江戸時代、大名や幕府の高級役人が泊まった宿のこと。 杉戸宿には建坪およそ166坪半もある立派な本陣があったこと が、日光道中大概帳に記されています。建物は焼失し、現在は門 構えだけが面影を伝えています。

杉山対軒遭難の碑


関宿藩主久世家の家老だった杉山対軒は、藩のために忠義をつくしてい ましたが、明治元(1868)年、現在の大字並塚で暴君によって暗殺されてし まいます。遭難の碑は、その無惨な最後をしのんで建てられました。